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マッターホルン、1865年:ホイムパーが初登頂、そしてライバルたちに岩を投げつけた

The Matterhorn, 1865: Whymper Makes the First Ascent, Then Hurls Rocks at His Rivals Below

マッターホルン初登頂:ホイムパー隊の栄光とライバルへの妨害
1865年7月14日、アルピニズム黄金時代の終焉を告げる出来事として、エドワード・ホイムパー率いる7人編成のチームが、標高4,478mのマッターホルン(イタリア語名:チェルビーノ)の初登頂に成功しました。この日は、登頂そのものと、下山中に発生した悲劇的な事故で記憶されていますが、頂上で繰り広げられた些細な出来事も注目に値します。当時の競争的な雰囲気の中で、ホイムパー隊は長年のライバルであるイタリア人登山家ジャン=アントワーヌ・カレー隊を出し抜くために、頂上から岩石を投げ落とすという行為に及びました。これは、カレー隊がホイムパー隊の登頂を知り、追いつこうとしていることを察知した上での行動でした。

競争激化の背景と悲劇的な結末
マッターホルンの初登頂を巡る競争は、1860年代に入り激化していました。ホイムパーは、1861年から1865年の間にマッターホルンに7回挑戦し、そのうち6回はイタリア側から、1回はスイス側から試みました。特に、カレー隊との間では、どちらが先に頂上に立つかという激しいライバル関係が築かれていました。ホイムパー隊が頂上に到達した際、彼らはイタリア側から登ってくるカレー隊の姿を視認し、その進路を妨害するために岩石を投げ落としました。この行為は、当時の登山における倫理観やスポーツマンシップの欠如を示すものとして、後世に語り継がれています。しかし、この登頂の成功は、下山中の悲劇によって影を落とされました。ホイムパー隊は、下山中に4人のメンバーを失うという大規模な事故に見舞われ、この出来事はアルピニズムの歴史に深く刻まれることとなりました。この事故は、初登頂の偉業とともに、登山におけるリスク管理と安全対策の重要性を改めて浮き彫りにしました。

アルピニズム黄金時代の終焉と現代への教訓
マッターホルンの初登頂は、アルピニズム黄金時代の終わりを象徴する出来事とされています。この時代は、ヨーロッパの主要な未踏峰が次々と征服されていった時期であり、マッターホルンはその最後の砦の一つでした。ホイムパー隊の成功は、技術と精神力の限界を押し広げる人間の探求心を示すものでしたが、同時に、競争が過熱する中で生じた倫理的な問題や、リスクを過小評価したことによる悲劇も浮き彫りにしました。現代の登山においても、安全への配慮、環境保護、そして他の登山者への敬意は不可欠です。マッターホルンの歴史は、偉大な挑戦の裏に潜む人間の弱さや、自然の厳しさに対する謙虚さの重要性を教えてくれる貴重な教訓と言えるでしょう。この出来事は、単なる登頂記録としてだけでなく、登山史における重要な転換点として、今日まで語り継がれています。
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