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登山・ハイキング
The Trek 🇺🇸

私が「なぜ」を持たない理由

Why I Don’t Have a “Why”

スルーハイキングの「なぜ」を問う
筆者は、スルーハイキングという活動が、他の多くの趣味に比べて時間、費用、労力の面で著しく負担が大きいことを認識している。ジャーナリング、読書、かぎ針編み、クライミング、ランニング、ロングボーディング、短い日帰りハイキングなど、他にも魅力的な趣味は多数存在する。これらの趣味は、身体や財布に過度な負担をかけることなく、人生の時間を有意義に過ごすことを可能にする。しかし、筆者はあえて「なぜ」という問いに対する明確な答えを持たないまま、スルーハイキングという「並外れたこと」を選択している。

意図的な生き方としてのスルーハイキング
筆者にとってスルーハイキングは、単なる趣味の域を超え、意図的な生き方を体現する手段である。この選択は、膝や足首の早期老化といった身体的な代償を伴う可能性を認識しつつも、人生を主体的にデザインしようとする強い意志の表れである。他の趣味が提供する手軽さや快適さとは対照的に、スルーハイキングは困難や挑戦を伴うが、それこそが筆者が求める「並外れたこと」を経験する機会となる。明確な「なぜ」を言語化せずとも、その行為自体が筆者の人生における深い意図と目的を内包している。この姿勢は、現代社会において効率性や合理性が重視される中で、あえて非効率的とも思える活動に身を投じることの価値を示唆している。スルーハイキングは、単なる移動手段ではなく、自己と向き合い、限界を押し広げ、そして人生を豊かにするための哲学的な旅なのである。
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